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たった3人の会社ですが商品と知識は豊富にあります。

店頭接客風景

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当 社 概 要
・会社名 宝貴宝株式会社
・住所 東京都台東区上野5-22-12
・郵便番号 110-0005
・電話番号 (03)3833-6481
・FAX番号 (03)3833-6484
・メールアドレス shop@takara-kiho.co.jp お問い合わせには電話番号を添えて下さい。 
・代表者 増井雄二
・会社設立 昭和31年(1956年)4月
・資本金 2400万円
・定休日 年中無休、ただし年末年始(12/30〜1/5)、お盆(8/14〜8/16)を除く
・営業時間 9:30〜18:15
・交通機関 JR 山手線 御徒町駅南口より徒歩2分
東京メトロ 日比谷線 仲御徒町駅2番出口より徒歩1分
東京メトロ 銀座線 上野広小路駅A1番出口より徒歩3分
都営地下鉄 大江戸線 上野御徒町駅A6出口より徒歩2分
つくばエクスプレス 新御徒町駅下車 徒歩9分
・所属団体 社団法人日本ジュエリー協会、東京ダイヤモンドエクスチェンジクラブ
ジュエリータウンおかちまち東京貴金属宝飾品卸協同組合(監査)
コロンビア・エメラルド輸入協会
東京商工会議所(台東支部ジュエリー分科会長)
御徒町駅東側区域まちづくり協議会(副会長)、仲御徒町商店会(副会長)
上野間税会上野法人会、上野彰友会、上野防犯協会
( )内は当社社長の役職

地 図
  記号説明
  @タカラ貴宝 AJR御徒町駅南口 B多慶屋本館A棟 Cりそな銀行 D上野松坂屋本館

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沿 革
 寛政10年(1798年) 初代増井(名前不詳)が江戸・神田鎌倉河岸(現在の東京都千代田区内神田)において金物問屋「大野屋」を創業し、明治初期まで続いた。
 明治初期(正確な年月は不詳)、7代目の時、一族の内紛で倒産し、8代目・増井幸吉は錺(かざり=宝飾工芸)職人になった。
 この間の家系図などは、増井家が檀家総代をしていた善徳寺(東京都江東区三好)に預けておいたため、関東大震災で焼失してしまった。
 9代目・増井清は、国鉄出入りの時計商「高橋時計店」の社員として朝鮮・満州での時計販売に従事した後、昭和10年(1935年)東京・浅草橋で時計バンド卸商「宝商会」を設立。
兜商会時代 太平洋戦争で本社が焼失したため、戦後、台東区竹町(たけちょう・現在の台東三丁目)に移転し、規模拡大に応じて「宝商会」を合名会社(昭和21年1月)、ついで有限会社(昭和27年3月)に組織変更した。
 仲御徒町問屋連盟結成を知らせる業界紙昭和30年(1955年)営業所を仲御徒町3丁目(現在の上野5丁目)に開設し、時計・眼鏡・喫煙具の卸団体「仲御徒町問屋連盟」(現在の仲問連協同組合)の創設に参加。
 昭和31年(1956年)3月本社と営業所を現在地に移転。 昭和34年(1959年)4月株式会社に改組した。この頃関東一円から静岡にかけての小売商に販売し、時計バンド卸としては日本一の規模となった。
 しかし、時計が時計バンドと一体化したデザインになるにつれ時計バンドの需要は減退し、兼業していた宝飾品が売上の中心となったため、昭和49年(1974年)商号を「宝貴宝株式会社」に変更。
エメラルド輸出会社で秘書達に囲まれて 10代目・増井雄二は大学卒業後、国内の貿易会社に勤務した後、南米コロンビアのエメラルド輸出会社で社長秘書・経理部長として勤務していたが、先代の危篤により急遽帰国して、昭和51年(1976年)宝貴宝(株)社長に就任。
 その後、価格競争力強化および品揃えの充実を図るため、営業形態を店頭現金卸中心に改めた。また、コロンビア産エメラルドを始めとする裸石を輸入してメーカーに卸すとともに、小売店向けに最初に裸石の店頭卸売を始めた。
 昭和62年(1987年)宝飾品問屋街「ジュエリータウンおかちまち」の設立に参加。
 平成10年(1998年)7月、ホームページを開設。
 平成12年(2000年)2月、ダイヤモンドのインターネット通信販売を開始。


個人情報の保護について
宝貴宝株式会社(以下「当社」という)は、個人情報の保護に関する法律(平成15年5月30日法律第57号) にのっとり、以下の方針により当社の事業活動を通じて得た個人情報の保護に努めます。  





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